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クリスマス

クリスマスのコンサートと礼拝のハシゴ。

20年以上前のあの頃と、同じ場所で同じ旋律で同じ歌詞で。
久々に讃美歌を歌い胸が熱くなる。

還らぬ時と郷愁。そんな言葉が身に染みて分かるようになってきた。
そんな歳になったのだ。

ああ、そうか、年寄りはいつもそういうことを言っていた。
そうやって年を重ねて、やがて死ぬのだ。

*

幸せで穏やかな心で日々を大切に生きる。
それだけを心掛けて生きていこう。

*

クリスマスは楽しく。




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合掌

お疲れさまでした。

丹生谷貴志『死者の挨拶で夜がはじまる』

死者の挨拶で夜がはじまる死者の挨拶で夜がはじまる
丹生谷 貴志

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<離人症の光学>
■離人症者は生きているある実感の喪失と引き換えに、奇妙な透視、空虚な神の透視の能力を付与される。

■全てを演繹的に或いは還元的に透視する者の全知の傲慢さと、実存的主体としてみた場合の空虚さ、空虚な神の空虚さ、生きられる世界から弾き出されてあることの見返りとして与えられた全知の能力の空虚さ。

■我々はその透視における無能、無能における透視としか言いようのない場所に、それなりに粘着する代償を払って生み出されたのである。代償、つまりは全てを透視しながら、一方で生きた個としては「空っぽ」であるしかないという代償。

■主体的な空虚の中に隔離され続けてきた者が突然、この世界はそこで生きる場所として自分たちに感じられてこなかったにしても、そこで死ななければならない場所であるという事実に出会う。

■外在としてしか与えられなかった世界は、最後に、死という絶対外在において内在を迫るものとして与えられ・・・カラッポのループは曖昧な相対性から絶対的空虚へと捩じれたかたちで強化されるだけだ。つまり外在としての離人症が癒されて世界という内在は解放されるのでは一切なくて、むしろ外在の外在というかたちで存在論的に強化されるだけだとも言えるからであり・・・。離人症は治癒されるものではなくて、たぶん、もはや離人症を代償に与えられる全知の透明ではなくて、離人症そのものに基づく言葉を発明しなければならない、そんな事態が訪れる・・・。

■外在と内在が剣の一閃のように特権的な物質性において切り結ぶ「達人」の瞬間、或いはその物質的持続そのものとしての「言語-存在」は理想として想定し得ても、離人症的隔離においてあらかじめ言語との直接的出会いそのものが脱落している状態であるとき、或いは、吃音状態でしか有り得ないとき、その理想の瞬間は望みえない高所の出来事となるだろう。だからここでも問題は、離人症-自閉症状態に置いて内在化し得ない状態のままに外在を内在に捩じり、内在を外在に捩じるような「卑小」な用法、離人症者の戦略だけが残されることになるだろう。ともあれここで重要なのは、離人症的「空虚」を生き抜くために、外科医に対してと同じように言語に対しても「離人症の戦略」或いはむしろ「離人症の光学」を通過するしかない、或いはそこに留まるしかないという点であろう。離人症において生きること、自閉症において語る言葉用法を発明することであり、解決すべき事件-世界を持たない探偵を一人生み出し、空虚な神としての離人症の場で裏返しの探偵小説を書くことが急務となる。

■離人症者の隔離の中にあるのはまさに我々が通常に生きている卑近な日常そのものであって、精神分裂某的世界と言うときに我々が期待する奇想の軋む広がりなどはそこにはなく、我々が生きている平坦な日常がそっくりそのまま苦痛の粘りに変わってしまうような、そうした寄る辺なさを強いる。

■書くことは外部から世界を掌握することであり、そしてそのことは現実を自分が生きているのではない対象として、空虚な神としての書く者の思念の中に吸収し、自身の「生」をも含めて、それ自身「空っぽ」でしかない探偵の傲慢で空虚なメモ=「紙屑」の中に記入し、日向に黄ばむ紙の束の中に放置することの延々とした営みであり・・・そしてただ一度でも良いからそれから跳躍し得る可能性があるとすれば・・・。

■離人症は現実を傍観しているのではなく、その場を生きていながら生きているようには処置できない、そうした場にある。

---
・この文章の凄いのは、病人でも医者でもない著者が、離人症者の特徴を描き切っているところ。ジャンケレヴィッチと同様に、安易な要約を受け付けず、文字を追った者だけがかろうじて再現できる何ものかをどうにか指し示している。空っぽのゾンビとしか生きられないことの悲惨さではなく、死に切れない痛みすら感じられないことの痛切さ。

・長らく手元に置いておきながら『積ん読』本だったが(大昔に読んだかもしれないが忘れたw)、かなり良い本。この手の本も長らく読んでいないな。興味のある方は、絶版のようなので図書館で。

ガイ・フィンリー『嫌なことは手放してみよう。』

嫌なことは手放してみよう。 成功と幸せを引き寄せる真実の法則嫌なことは手放してみよう。 成功と幸せを引き寄せる真実の法則
ガイ・フィンリー

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■本来の自分を取り戻すための10の問い掛け
1.「わたしは、なぜいつもこのような目にあうのだろう?」ではなく、これからは「わたしの中の何が、このような辛い状況を引き寄せてしまうのだろう」と問い掛けよう。

2.「なぜ、こんな風にならなければならなかったのか?」ではなく、これからは「なぜ、わたしは外的な状況に振り回されていると感じるのか?」と問い掛けよう。

3.「どうすれば、困難な状況で自分を守れるのか?」ではなく、これからは「わたしの中の何が、守られたいと感じさせるのか?」と問い掛けよう。

4.「どうすれば、頭の中のモヤを追い払えるのか?」ではなく、これからは「混乱したままで、頭をはっきりさせる方法を考えられるのか?」と問い掛けよう。

5.「明日(あるいは一分後)をどう生きたら良いのか?」ではなく、これからは「そもそも、思い悩むのは賢明なことなのか?」と問い掛けよう。

6.「なぜ、○○さんはあんな行動をするのか?」ではなく、これからは「わたしの中の何が、人の行動を気にしたがるのか?」と問い掛けよう。

7.「わぜ、わたしが犠牲にならなければいけないのか?」ではなく、これからは「そう感じている<わたし>とは一体誰なのか?」と問い掛けよう。

8.「わたしの選択は正しかったのだろうか?」ではなく、これからは「恐怖心に安全な選択ができるのだろうか?」と問い掛けよう。

9.「なぜ、○○さんは間違いに気づかないのだろう?」ではなく、これからは「いま○○さんに対してこんな風に感じているが、それは自分のためになるのだろうか?」と問い掛けよう。

10.「どうすれば、人に自分を認めさせられるか?」ではなく、これからは「わたしが本当に求めているのは、大勢の人に褒めてもらうことか、それとも自分らしい人生を心静かに生きることか?」と問い掛けよう。

---
■自分を含めて、本当にどうしようもない全ての愚か者たちへの戒め。
■つーか、おれがこの本を読んで実践するとともに、同時に、おれの上司がこの本を読んで実践してくれたら問題は一気に解決するんだけどw
■本当に人間というものは愚かでどうしようもない。そのうえで、人生とは「喜ばせごっこ」なのでしたね。
■あ、そうそう、まだ生きてますw

雑感

長らく放置しておいてアレだけど、終わってないよ
プロフィール

dixitdominus

Author:dixitdominus
<なんだかわからないもの>なしに生きることはできる。哲学なしに、音楽なしに、喜びや愛なしに生きることはできる。しかし、それはよく生きることではないだろう。(ジャンケレヴィッチ)
<なんだかわからないもの>たちの備忘録。

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